Screen Shot 2016-03-11 at 14.25.05

銀行家大量自殺の理由 2016年6月13日

http://inteldinarchronicles.blogspot.jp/2016/06/why-are-so-many-bankers-suiciding.html?m=1
Monday, June 13, 2016
Why Are So Many Bankers Suiciding?

ニューヨーク、ロンドン、イタリアのシエナではここ17か月間に権威筋が無関係だと認めた40件の銀行家の自殺が見られた。しかし、いずれの場合にも犠牲者は世界的な銀行スキャンダルに巻き込まれていて、彼らの死の状況に関しては明確な回答よりも疑問の方が多い。

2013年3月のデーヴィッド・ロッシの死—世界最古の銀行のシエナのモンテ・デイ・パッシの51歳の通信担当役員であったが、この銀行の瞬時のうちの崩壊に際してのものだった。

ロッシは、彼らの14世紀にたてられた銀行本社三階にあるオフィスの窓の下の道路で死んでいるのが発見された。

監視カメラの映像では、ロッシが落下して背中をビルに面した道路面に打って死んだが、これは窓から突き落とされたときに起きる奇妙な姿勢だった。

彼は自殺したのか?しかし、疑問が残る。これは強制されて起きた自殺ではなかったのだろうか?

この状況では三階からの落下だけではロッシが即死するはずはない。約20分間この銀行家は舗装の敷石の上に時々腕や足を動かして横たわっていた。

彼が死に瀕していた時、二人の怪しげな人物が現れた。二人の男は銀行家を見下ろした。彼らは助けも、慰めもせず、救急車も呼ばず、背を向けてその場を去っていった。

ほぼ1時間後に仲間がロッシの死体を発見した。腕には打撲傷があり頭にも傷があった、と地元の医師が報告していて、落下の前にはいさかいがあったことを示唆している。

しかしロッシの未亡人アントネッラ・トグナッツィの不信にもかかわらず、この死は自殺として処理された。彼女はイタリアの新聞で、夫が”知りすぎた”と言っている者、として報道された。彼女は公共の場で声明を出し、弁護士を雇い、夫の死に関する調査を依頼した。

トグナッツィの遺書と言われるものが見つかったが、その中では自分の妻をトニーと呼んでいた。彼は自分の妻を決してトニーとは呼んだことがないのに、である。

彼の妻によると、彼の死の二日前にロッシはこの銀行のCEOである、ファブリツィオ・ヴィオラにメールを送り、”私はこのことで圧倒されないような保証がほしい。明日までに手を引かねばならない。私を助けてください。”と述べた。

死の前に彼を”圧倒する”とはどういうことなのかは謎だが、多くの者は、彼がこの銀行の経理上の問題を言っていると推測している。

ロッシは、多くの銀行アナリストがドイツ銀行の融資によるバンカ・アントンヴェネタの買収に際して、過剰な支払いをしたと言われている、この銀行の前頭取ジョセフ・ムッサリが秘密を打ち明けられる親しい側近だった。

ロッシの死と同じ年に、ヨーロッパと米国の監査チームはライボア(LIBOA)スキャンダルとして知られることになる問題の調査を開始した。この事件ではロンドンの銀行家たちが世界中の住宅ローン、自動車ローン、個人ローンのロンドン銀行間翌日物金利を操作したとの疑いがもたれた。これはまたモンテ・パッシのような銀行がバンカ・アントヴェネッタの買収に関する融資にも適用される金利をも決定する。このスキャンダルは国際的銀行、最も顕著にはドイツ銀行にも、ほぼ200億ドルの罰金という影響を及ぼした。

これに加えて、モンテ・パッシは2008年の金融危機に際して大きい損失を生じたリスクが大きいデリヴァティヴに巻き込まれた。クリストファー・コロンブスが大西洋を渡る20年も前に創立されたこの歴史ある銀行は、ドイツ銀行とメリルリンチが関係したリスクが多い数十億ドルのデリヴァティヴに関わったために死んだロッシの時代に調査を受けた。

2014年10月にはムッサリと他の二人のモンテ・パッシの役員がバンカ・アントンヴェネッタ買収の際の銀行救済を受けたイタリア銀行による融資に関する調査妨害の疑いでイタリアの当局に有罪宣告を受けた。この年の1月に、ドイツ銀行からのドイツ銀行の資産管理担当役員のミシェル・ファイソッラを含む3人の役員が、問題を抱えていたモンテ・パッシと談合して経理操作、市場操作、司法妨害を行った疑いでイタリア当局に訴追された。ファイソッラはこれらの犯罪を否定している。

ドイツ銀行役員のウイリアム・ブレクシュミット58歳は2014年1月にロンドンの自宅でドアに結んだ犬の紐で首をつって自殺した。

2013年3月以降の17か月間に40人の銀行家がロッシ、およびほかの二人の死の状況と類似した世界の銀行スキャンダルの最中に特に目立って自殺とは思えない状況で死んだ。

金融関係紙は死体のそばの犬のベッドわきに家族と友人宛の複数の遺書があったと報じた。一通はドイツ銀行CEOのアンシュ・ジャイン宛で、お詫びのためのものだった。しかしその遺書はこれまで公開されておらず、彼の謝罪の理由は明らかにされていない。

ブレクシュミットの妻が娘婿のヴァル・ブレクシュミット経由での電話を受けたドイツ銀行での高位の同僚である、ミシェル・ファイソッラが身の毛もよだつ現場に着いて、銀行関係の書類と遺書を読んだ。
”当時彼は父のコンピューターを調べ、少し奇妙に思ったようだ、”とヴァル・ブレクシュミットは語った。

ファイソッラがブレクシュミットの死に関係する悪事に関わった証拠はないが、娘婿が言うには、何かあるかもしれないのに、ファイソッラが探していたものにはいささか疑問を感じたとのことだ。ファイソッラはコメントを拒絶した。

彼の娘婿から当サイトに送られてきたメールでは、ブレクシュミットは事件の一週間後に予定していたスキー休暇を楽しみにしているとの友人宛のメッセージを見つけた、とのことだった。

ブレクシュミットは”彼が働いていた銀行の当局による調査を非常に心配していた”とのブレクシュミットの精神医からの報告にも関わらず、前年に行われたライボア調査についての心配による落ち込みは解消されたように思われる、と彼の死の一か月前に彼に健康回復宣言を出した医師が言っている、とは娘婿が言うことである。この娘婿は義理の父親の手紙やEメールを調べて、ほかにも気がかりな事実を見つけた。

”彼は確かに自殺した”、と娘婿のヴァル・ブレクシュミットは当サイトに知らせてきた。”しかし一つ疑問がある。あれは強制され、或いは圧力をかけられて自殺に追い込まれたのではなかろうか。あるいは自殺しなければ何かをするぞ、とおどされたのではなかろうか?疑問点がいくつかある。”

2013年初頭にドイツ銀行頭取のジェインはブレクシュミットを銀行全体のリスク担当役員にしようと計画した。彼は秘密デリヴァティヴ部門の専門家で、ドイツ銀行はこの帳簿にほぼ60兆ドルの価値を計上していた。しかしドイツの銀行管理者は経験不足だとして彼の任命を拒否した。

ブレクシュミットは6月に銀行から離れたが、数か月後に、ドイツの巨大銀行の米国支店としてニューヨークに本社を置く、米国ドイツ銀行トラスト株式会社(DBTCA)のディレクターの地位についた。これはドイツの銀行管理当局との衝突の後での、長い間の彼の貢献に対する報酬だった。

DBTCAはドイツ銀行が1988年に買収した従前のバンカーズ・トラストであり、信託預金として富裕層のお金を預かるほかに、長期投資を行う機関である。

ドイツ銀行の資産管理ユニットは、ドイツ銀行頭取のジェインに直接報告するミシェル・ファイソッラが管理していた。しかし、ほかの役員とは異なりブレクシュミットの自然な好奇心と仕事に対する倫理観によって、ファイソッラによる月例報告会への出席も、小切手の換金も許されなかった。彼は次第に操業に深い探りをいれるようになっていった。

”私の義父は単に見ているだけでは気が済まなかった。”とヴァル・ブレックシュミットは言っている。

彼の死の一か月前に、ウイリアム・ブレクシュミットが書き物を残した。娘婿の言葉には、彼の怒りが示されている。仲間の役員たちに尋ねて言うには、来る連邦準備銀行によるDBTCAに対するストレステストのような微妙な問題になぜ彼が主導しなければならないのだろうか、と。

彼はまた、銀行がローン損失を少なめに見積もっていることに疑問を感じ、連邦管理官が銀行の損失を帳簿よりももっと多いものとみなし、制約が課されるのではないか、と恐れた。

カロジェロ・カンビーノ、41歳はドイツ銀行の弁護士だが、ブルックリンの自宅の階段の手すりで首をつっているのが、2014年10月に発見された。

“誰がこうしろと勧めるだろうか?私は独立した管理者でこれが私をさらに管理層との同調を進めさせている。”と彼は書いている。

二年前に、銀行家の自殺がニューヨーク市を襲った。カロジェロ・チャールス・カンビーノ、41歳は二人の子供を持つ父親で、ドイツ銀行内の弁護士、11年間、ダウンタウンにある銀行本社で勤務していた。彼はこの銀行のライボアなどの訴追事件の弁護に当たっていた。

2014年10月24日に、彼のブルックリンにある家の二回のバルコニーに結んだロープで首をくくったガンビアーノの死体が妻によって発見された。

遺書はなく、結束の固い家族からは何の話も聞き出せなかった。彼は知りすぎたのだと推測される。

未亡人には多くの手紙がとどけられたが、ドイツ銀行のスポークスマンから未亡人は邪魔をしてほしくはなく、幼い二人の子供がいることを配慮してほしい、との伝言があった、とのことだった。

重要人物の様相で、素晴らしいこの銀行家の経歴は、ニューヨークの成功物語である。セント・ジョン大学の法律学科を卒業し、証券監視委員会に法執行官として二年間勤務した後、彼はシャッデン・アルプス法律事務所に転籍し、4年間勤務し、ドイツ銀行に企業内弁護士として採用された。ドイツ銀行では階級を上げ、執行役員補佐の企業弁護士になった。

ドイツ銀行の企業弁護士として、ガンビアーノは、ミシェル・ファイッソッラやウイリアム・ブレクシュミットを含む多くのヨーロッパの銀行の役員と懇意になった。

直接連絡を取ったのはほとんどの場合企業外弁護士のシンプソン・サッチャー弁護士事務所のマーク・スタインだったが、彼がライボア問題で2012年と2013年にブレクシュミットとファイソッラにアドバイスを与えたかどうかについてはコメントを拒絶した。ドイツ銀行は結局司法省との和解に至り、120億ドルの罰金を支払い、それ以上の責任は問われなかった。

ガンビアーノの死は自殺と裁定された。この場合にもロッシ、ブレクシュミット、いずれの場合にも、捜査員は探索、発見、共通点の捜査は行わなかった。

しかしこれら三人は多かれ少なかれドイツ銀行で仕事をしていた。さらに金融危機以来のドイツ銀行および・またはにまつわるスキャンダルは彼らの捜査の範囲内で交錯していた。

ガンビアーノやブレクシュミットの死につながる事情が再考されるかどうかは分からない。しかし、ロッシの事件では、疑問が提示され、答えが示されるだろう。

昨年暮れに、イタリア当局は彼の死体を発掘し、捜査を再開した。ロッシが自殺したかどうか、あるいは殺害されたかどうかは今月後半に判明すると思われる。

翻訳 Taki

LEAVE A REPLY